馬鹿と小賢しい



彼女に「足が太いね」と冗談で言った時に、この一言はどう解釈されたのかというと

 1)足が細くなって欲しいという要望の表現
 2)足が太い私に対する嫌味・いじめ
 3)足が細い女の人と付き合いたかったのに、失敗したという嘆き 
 4)自分は女としての魅力に欠ける、欠陥品だという客観的事実の伝達
 5)足が細くなるような努力を自分がするようになる為の脅迫
 6)足が細くなるような努力を怠ってきた自分に対する侮辱
 7)自分の家系に流れる遺伝子すべての否定
 8)足が綺麗な女の人がいたら、すぐにそっちに乗り換えるよ!という宣言
 9)太い足で歩いている自分の神経の図太さ、羞恥心の無さへの忠告
10)価値が無い女として、もっと日ごろから謙虚でいるべきだという指摘

軽い気持ちで、好きな女の子をからかったにもかかわらず、この10項目の
要素が詰まっている。つまり女の子相手に大喧嘩を売ったという事だ。

これ見て思ったのは、この解釈はどれも相手の気持ちに対する推測であり、なんら真実を保証しないのになあってこと。にもかかわらず推測した意図を確定した事実のように受け取ってしまうのはなぜなんだろう、と。

それはおそらく女の子のほうがソーシャルスキルが高いからだろう。つまり、空気が読めるってやつだ。相手の言葉の裏を読んで意図を先回りして推測しておく。こういうことができると俗に言う気の利く人って言われるわけだ。

よく男は女の子から馬鹿だ馬鹿だと言われるけど*1。個人的にそれはソーシャルスキルという面では正しいと思う。男は女より空気を読めない。読まない馬鹿だ。

で、女の子は空気を読むことになれてるから、男の大した意図もなく発せられたお馬鹿な言葉を深読みしすぎて、冒頭のように勝手にケンカを売られてしまったりするわけだ。僕はこれを「馬鹿な男と小賢しい女現象」と個人的に呼んでいる。「ふざけんな!」といって男の尻に蹴りの一つも見舞っておけばそれでいいのに、足りない思考をめぐらしていろいろとぐるぐる考えてしまう。

空気を読むという芸当は相手が意図をもって発言をしているときにのみ有効だ。意図の存在しない言葉に意図を求めることほど馬鹿らしいことはない。「足が太い」などと平気で行ってしまう男の無神経さはもちろん悪だが、女の子の方がソーシャルスキルが高いからこそ問題が大きくなってしまうという面はある。




そして話は変わるけど最近思うのがソーシャルスキルの高い社会ってのは一概に幸せなのかね?ってこと。往々にしてソーシャルスキルの高い人ってのはそうでない人に厳しい。だってそれはそうだ。ソーシャルスキルはギフトじゃなくてスキルであって努力して身につけたものなんだから、スキルの高い人にはやっぱりそれなりのこだわりみたいなものがあるわけで。そしてこだわりにそぐわない人にたいしてひどく冷淡になる傾向がある。

僕はソーシャルスキル自体はとても重要な技術ではあるけど、人間関係においてソーシャルスキルだけが唯一の共通評価軸になったりする社会はいやだなあ、と思う。ていうか空気の読める人ばっかの世界って何が面白いんだろう? 何つーか多様性の面からもマイナスっぽいよね。空気が読めて気配りのできる人は、全体の何割かでいいんだよ。

*1:僕もよく言われる