「空気を読む」なんて意味ないか?

Life like a clown - コミュニケーション能力
http://d.hatena.ne.jp/tt_clown/20060308/p1

インド人から見た日本人の印象について統計データを取ってみたところ,コミュニケーション能力に乏しいという認識が突出していました.だから,当社ではコミュニケーション能力の高い人を探しています

と言った類の話をする人も多く存在します(特にインド人である必要はないが).しかしながら,上記の要求を考えた場合,空気を読む能力がコミュニケーション能力に必要であるとは考えられません(むしろ,邪魔になる).空気を読む能力とは,会話の場に社会的慣例を当てはめて,全てをしゃべらせずとも話し手の意図していることを読み取る能力であると言えます(参考: 中島義道 「語らない美学は人を損なう」).しかしながら,海外の人とコミュニケーションを取る事を考えた場合,そもそも社会的慣例の共有が成されていないため,空気を読むことは不可能です.

実際,海外の人とのコミュニケーションを行うことを考えた場合,必要な能力は先の定義とは大きく離れたものとなります.

について。

「空気を読む能力」の捉え方が間違ってる、と思う。

まず「空気を読む」という行動には2種類のレベルがある。

(1)マクロレベルの社会的コンテクストを考慮することで相手の思考パターンについてある程度予測を立てる。
(2)表情や、言葉の調子、身振りなどにより具体的な思考、感情を推測する。

次に空気を読んだ後にそれに対応した行動を<1>とる、<2>とらない

という選択肢がある。普通思考を推測したらそれにあわせるのがまともなコミュニケーションというものだが、意図的にそれを無視することも実際にはできる。それは愉快犯的な動機だったりするかも知れないし、意外性を演出したいとかそういう動機だったりするかも知れない。それはそれで高度なコミュニケーションなのかも知れないがこの場合問題となっているのは<1>の方なので特に大きくは取り上げない。

で、(1)の思考を推測して先回りしてやるという行動が実は実際に世間で言われる「空気を読む」能力だ。この違いははっきりさせなくてはいけない。「空気を読んだ」だけでは「空気を読む能力」として評価されない。「空気を読んで」、さらにそれに適切な行動をとれて初めて「空気を読む能力」といえるのである。

「空気を読む」ということ自体は比較的汎用性がある。実際の行動が適切だったつもりで、適切じゃないだけだ。それにはまた2つの原因があり

1.そもそも適切に推測ができていないか、
2.適切だと思った行動の判断が間違っていたから

だ。1の適切に推測が出来ていないというのは(1)の部分に依拠する部分が多い。(2)の推測方法など個人差などはあるが、万国共通の部分が多いだろう。国は違っても怒りや喜びの表情が見分けられないと言うことはあまりないように思う*1。(1)の社会的コンテクストを考慮する、が間違っているのだ。引用の例で言えば会話の場に(自分の)社会的慣例を当てはめて,全てをしゃべらせずとも話し手の意図していることを推測する、ではなく(相手の)社会的慣習を当てはめてそれに対応する、が正解である。2の行動の判断が間違っていたというのは単に知識不足である。イスラム教の人をディナーに招待するのに豚肉を出すとかそういうことだ。

で、なぜ外人相手には「空気を読む」なんて意味ねーよ、なんて言われるのかと言えば「空気を読む」という行動を、上の段落のように社会的慣習を(自動的に)当てはめて、型にはまった思考をする、ということだと勘違いしているからだ。

日本人の場合について言えば、日本人とコミュニケーションをとるときと外人との時とで同じスタイル(言わずとも察する)でコミュニケーションをとるという場合に当たる。真に「空気を読んだ」のなら、社会的コンテクストを共有しない相手に対しては積極的に自分をプッシュするというコミュニケーションスタイルをとるはずである。

つまり相手の社会的コンテクストを認識した上で、それにあわせたコミュニケーションの方法を選ぶことが必要なのだ。日本人なら日本人に、アメリカ人ならアメリカ人に、インド人ならインド人に適した方法を選ぶことができればよい。個人的にはそれが真に「空気を読んだ」コミュニケーション能力というものだと思う。

そう考えるとインド人が日本人のコミュニケーション能力が低いと判断したのも、ローコンテクストな社会に生きるが故に彼らが自分をプッシュするというコミュニケーションの形態しか知らなかったからだということもできる。

日本人は外人にコミュニケーション能力について低いと判じられたとしても自らを無駄に卑下する必要はない。日本のようなハイコンテクストな社会において「言わずとも察する」タイプのコミュニケーションのほうが効率が良いのは間違いがないのだから。しかし、プッシュ型のコミュニケーションスタイルを必要に応じて選択できるように訓練する必要はある。

ハイ&ローコンテクストな社会についての参考
sociologic: 空気の読める社会(1)
http://www5.big.or.jp/~seraph/mt/000108.html
sociologic: 空気の読める社会(2)
http://www5.big.or.jp/~seraph/mt/000137.html

*1:実はこの表現方法もイエスとノーの身振りが国によって真逆だったりするように社会的コンテクストに結構依存するものではあったりするのだが問題が複雑になるのでここでは考慮しない。